なんて歌がありますが、富士山と言えば日本で一番の標高(3776m)を誇る日本を代表する山ですよね。
昔から多くの日本人に愛されてきた富士山ですが、四季により変化する美しい姿や、毎年何万人もの登山家を魅了する国内最高峰ならではの存在感は圧倒的です。
「富士山」という名前にも信仰の様なものがはたらき、地方の富士山に似た山を「〇〇富士」と呼んだり、会社名に「富士〇〇」や」「〇富士」と富士にまつわる名前を付けたり、とにかく日本人は富士山が好きです。
ところが、この富士山が日本一の標高ではなかった時代があったらしいのです。
どういう事でしょうか?
富士山が日本で二番目だった時期
富士山が日本で二番目だった時期は確かにありました。
しかもそれは、縄文時代や弥生時代など大昔のことではありません。
日本人の誇りに関わる重大な問題ですが、今から約130年前は富士山は日本で二番目でした。
それは戦争が大きく影響していました。
1895年、日清戦争に勝利した日本は台湾を併合しましたが、この台湾に存在する「玉山」という山の高さが3952mで、富士山の3776mを上回ったことから、第二次世界大戦が終結した1945年まで、この玉山が日本最高峰でした。
隠れコラム「80年前はまだ富士山2位だったんだ...」
ちなみに当時、玉山は「新しく見つかった高い山」という意味で「新高山」と呼ばれていました。
旧日本軍が真珠湾攻撃の時に使った暗号文「ニイタカヤマノボレ」は、この山のことを指します。
なお現在富士山と玉山は、友好山として提携を結んでいるとの事です。
結論
1895年から1945年にかけての台湾統治時代は、台湾にある玉山が日本一の山だった。